思えば、いつも「常識」とか「一般的」なところからは少しズレたところを生きてきたなぁと思う。
たとえば…
在学中に就職活動して
→学校卒業したらどこかしっかりした企業に就職して
→そのうち彼氏ができたら結婚のことを考えて
→だいたい20代半ばくらいで結婚が決まって
→そこから子供ができて
→なんなら二人で住む家をローンで購入して
→二人三脚で子育て頑張りながら
→会社でもだんだん役職がついてきたりして…。
↓
年に1回の家族旅行。お盆と正月の実家帰省お正月に夏休みにお盆のお墓参りにクリスマス、そして年越しの年間行事を楽しんで1年を終える。その繰り返しが慎ましやかながらも幸せな日々。
みたいな?
そんな想像していた、大人になったらこんな生活。みたいなことが私の人生には全然訪れない(笑)なぜなのか。
上京して専門学校に通って、先生から「あなたならこの会社に推薦してあげられるけど、どう?」と有難き声をかけていただいたにも関わらず、就職活動せずに当時アルバイトしていたところで卒業後も働き、同じ業種をその後転々としながら、当時付き合っていた彼氏とこのまま結婚するんだろうなと思って同棲するも、破局。
人生路頭に迷ってスピリチュアルに傾倒し、親に新興宗教に騙されたと思われ家族の縁を切ると怒鳴られ…。しかし、実際は普通にオーラとか視えるようになって特に問題も起こらないまま、この先そっち系で生きていくか~と思っているところに3.11がやってきて、人生観ががらっと変わり地元に帰る。
そのあと、自営業で手芸をしてはそれを売ったり、オーラを見てメッセージを伝えるなどしながら細々と暮らし。だけどそんな生活もなんとなく飽きてしまって、やっぱり私はもっと経験したことないことをやりたいんだ!とかなんとか思い余って、急に日本の南は南。小さな名前も知らなかった離島に移住して2年半過ごすという経験をした。
そして、そこも飽きてきたので、また地元に戻って←今ココ
年齢で人の人生判断したくないし、一般とか常識とかもうどうでもいいわ~って感じだけど、それでも一般的に見たとしたら、私の年齢ならもう結婚して子どももいて、なんならマイホームも買って仕事してたらそれなりの役職について給料もそこそこ貰い、貯蓄も少なくとも500万くらいあったっておかしくない。
まっとうに生きられたらそんな人生もあったかもしれないけど、そんな人生にはなっていない今の私。でも、そんな私だからこそ見られた世界もある。私は今の私の人生を呪ったりはしていない。
40代、50代、60代になっても南の島でふら~~っと楽しく生きている人たち
都内で転売したり、面白いイベント企画して参加費から収入得たりなんだかんだのらりくらりと生きている40代の友人
日本各地いろんなところを数か月おきに働きながら旅するカップル
ワーホリにつぐワーホリを繰り返しながら、将来は中国を相手にビジネスをする!と豪語する若干25歳の若君
そんな彼らに、いわゆる一般的な人生を送っていたら出会えなかったと思うし、そうして出会った彼らを見ていると、貶しているわけじゃなくて褒めたたえる意味で「こんなんでも生きていけるもんなんだなぁ」「真面目に生きなくても死なないんだなぁ」「わくわく楽しみながら仕事することって可能なんだなぁ」そんな風に思うことができるようになった。
私がその人たちと同じレベルで生きられているか?というと疑問甚だしいんだけど、それでもその人たちのように生きたいと、そんな世界を泳いでいきたいと今は思っている。
「何億借金したけど1年で這い上がった〇〇」とか「貧乏ホームレスが一気にセレブに!」なんて極端なサクセスストーリーなんてなくて、言ってみれば私なんて「一般的」の中に納まる「ちょっとズレてる人生」にすぎないと思うんだけど
、それでも私にはいつも頭の中に漂う単語がある。
「自由」
いつもいつも、ふとしたら「自由になりたい」「自由でありたい」この言葉が頭から離れない。私は私をもっと自由にしてあげたい。この世界でもっと自由にはばたかせてあげたい。
そしていつかは、自由に泳いだり羽ばたいたりして生き生きとしている私を通して、同じような望みを持った人たちに飛び立つ勇気を与えられるようになりたい。
大それた夢かもしれないけど、そんなところを目指しながらこれからも一般的なレールから外れたところを歩き続けたい。だってきっと、そのほうが私にとって面白い人生になるはずだから。