車で走っていると遠くからでも「あれなに~?」とカラフルで目立つ建物が見えます。なかなか派手な色合いなので、もしかしてなにか遊び的スポット!?と勘違いしそうなくらいです。
しかし、ここはある事件で亡くなったとされる中国人の霊を祀るお墓だったのです。
えー!日本にどうして中国人のお墓があるのー?
お墓なのに勝手に入ってもいいの~?
今は石垣島の観光スポットの1つになっているので、誰でもいつでも自由に出入りすることができます!
悲しき歴史ののち建立されたものですが、中国らしいきらびやかな装飾の施された慰霊塔は一見の価値ありなので、石垣に来たなら一度は立ち寄ることをお勧めします。
真面目な文章が続くから読むの面倒~~!って人は、少しすっ飛ばして、ちむちゃんたちの会話から読むと、めちゃめちゃ簡潔にではありますが、なんとなく概要が分かると思います。
では、堅めの文を読んでも脳みそがフリーズしない方は、こちらから…。
こちらもできるだけ分かりやすいように書いてるので、たぶん眠くならずに読めるはず。慰霊碑に書かれた文言を引用・抜粋すると…
船中では、当時の中国人の命ともいえる辮髪(べんぱつ)を切られたり、身体に焼きごてを当てられ印をつけられたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行を受け、耐え兼ねた苦力たちは船長たち七人を撲殺。
船は台湾へ向かう途中たまたま石垣島崎枝沖に座礁、380人が下船した。八重山の政庁蔵元は冨崎原に仮小屋を建てて彼らを収容したが、米英の兵船が三回にわたり来島。砲撃を加え、武装兵らを上陸させ射殺・捕縛を行った。
中国人等は山中に逃亡したが銃撃、逮捕、もしくは疫病にかかり死病、自殺者が出るなどの惨憺たる状況となった。捕縛を免れた中国人は琉球王国に保護されたものの、収容所の衛生はあまりよくなく、疫病で亡くなるものも多かった。
その後、関係国間の事件処理に対する交渉の結果、翌1853年9月、琉球の護送船二隻で生存者172名を福州に送還して終結した。その間自殺、病死、行方不明になった者は128名にのぼった。
これを弔った三百唐人墓とよばれる古い石積の墓を建立し丁重に葬られ、戦後まで冨崎原一帯には数多く点在していたが、1970年石垣市が霊魂を合祀慰霊するため 唐人墓建立委員会を結成し、1971年(昭和46年)に現在の「唐人墓」が完成した。
つまりー!中国の労働者たちが米英たちの船でカリフォルニアに連れていかれてたんだけど、大切な髪の毛切り落とされたり、身体に焼き印ジューって入れられたり、病気になった人は海に落とされてサメのエサにされたりって酷い仕打ちを受けたから怒って米国船長たちを殺しちゃったんだよね!
んで、船で台湾に向かってたらうっかり石垣に座礁しちゃって、そこで降りたら、石垣の人たちが収容する場所を用意してくれたんだって。 優しい~!
でも、事情を知った米英たちが石垣にやってきて中国労働者たちを捕らえて、射殺したり吊るし上げにしたりしたらしいよ …怖いね。
んで、生き残った人たちは国に帰れた人もいたらしいけど、亡くなっちゃった人たちを祀ったお墓をここに建てたってことだよね。
うん、だいたいそんな感じ。
疫病や自殺で亡くなった方も多かったみたい。元々は1人1人の石積み墓が点在していたんだけど、近年1つにまとめましょう!という話になって、この「唐人墓」がつくられたということです。
やはり何といっても、きらびやかなお墓の見た目でしょう。事前にネットで調べて知っているとか、現地の人に聞いて来たとかでなければ、それが墓だとは予想だにしないくらいカラフルで派手な建物です。
唐人墓は、日本にはないザ・中国!なイメージのデザインで、緑・赤・黄色!と原色ばりばりの極彩色の装飾は、目を奪われずにはいられません。
中国らしい立派な龍や鳳凰などは、とても細かく作りこまれています。
裏側には事の概要が書かれています。何の建物だろう?と知らずに軽い気持ちで来て読むと結構ショッキングだと思います。
お墓の手前には、シーサー?それとも中国の獅子像でしょうか。
一般的な対のシーサーや狛犬は阿吽といって、片方が口を閉じていて、片方は開けているものですが、これはどちらも口を開けているのと、首元に鈴のようなものがついているのは中国の獅子像の特徴なので、こちらも唐人墓ということもありますし、獅子像でしょうね。
miccoって狛犬好きなの?
大好き~!マニアかも(笑)
唐人墓は、富崎(フサキ)の道沿いにあります。離島ターミナルからは車で約15分ほど。
バスだと[9]川平リゾート線[東運輸]で「唐人墓」で下車すれば行くことができますが、バスターミナルからは6.8.9.11.12.14.16.18時に各1本ずつの1日8本、唐人墓からの戻りは7.10.11.12.14.15.17.19時に各1本ずつの1日8本…これだけしか出ていないので、うまくスケジュールを組まないとかなり時間のロスですし、不便です。
もし車がなくてバスを利用しようと思っている場合は、断然バス観光を利用した方がお得です。
こちらは、以前川平湾の観光の時にもおすすめしたツアーですが、午前・午後出発のもの共に「唐人墓」に立ち寄ってくれるコースになっています♪
こちらは、石垣の主要観光スポットを巡ったあとに、竹富島に渡って水牛車観光もできるという、1日であちこちパパっと楽しみたい人にはピッタリのツアーです。あまり時間はないけど、色々巡りたいし他の離島の雰囲気もちょっとでも味わいたい!という人向け。
前にも書きましたが、車がない場合はバス観光は主要な観光スポットを時間のロスが極力内容にめちゃめちゃうまく組み合わせて盛沢山で巡ってくれるので、おすすめです。ただ、石垣に何度も旅行に来ている人にとっては少し物足りない内容かもしれないので、石垣島初心者さんにオススメします♪
冒頭に唐人墓の概要を書きましたが、実はそれは真実ではないのではないか?という説もあるのです。
えー!
唐人たちは無理矢理奴隷にされ、米英たちに残虐な扱いを受けた…とされていますが、当時は奴隷的な労働者だけではなく、知的階級の人々の出稼ぎもあったそうです。実際、石垣に事情を知り追いかけてきた米英兵たちが、大量に唐人たちを虐殺した…というような感じで語られている部分も、射殺したのは3名にすぎないという記述もあるらしく…。
ええぇ…
さらに、石垣に座礁したという部分も、単に石垣を目的地の台湾と間違えて上陸した形跡があるなど、色々と真実は違うかもしれない部分があるそうです。
頭がぐるぐるしてきちゃったよぉ~
どちらの話が正しいのか…もし、納得の上で船に乗ったのに船長たちを撲殺して暴動を起こしたのだとしたら、事の印象や見方が変わってきますよね。
なんにしても、被害を少なくするように保護したり収容したり、食料を提供したり、送還の船を出したりと極力配慮した琉球王朝や石垣の島民の人道的な対応は素晴らしいですよね。
当時、八重山でも疫病が流行していたらしく、島の人々たちも病気でたくさんの人が亡くなっていたそうです。にもかかわらず、外からやってきた異国の人々の衣食住の世話のみならず、病気にかかった人たちに薬まで琉球王国からの手厚い補助があったのだとか。
おそらく島の住民たちは簡単に薬を得ることはできなかったでしょうから、島人よりも異国の人たちを優先的に手厚く介抱しなければならない、小国琉球王国の辛さみたいなものも、この事件から垣間見えるような気がします。
戦争もそうですが、ほんのひと昔には、今では考えられないような残虐な行為が各地で行われていたのだなと思うと、あらためて平和について考えさせられます。
石垣島は今はリゾート地として、レジャーにグルメにと楽しいスポットがたくさんですが、こういう時代背景があっての今の石垣島だということを時に学んでみるのも大切かもしれません。
唐人墓は大きなスポットではないので、観光はそんなに時間はかかりません。以前紹介した、夕陽が綺麗に見えるスポット ▶ 「フサキビーチリゾート」からは1分、絶景の中で美味しいジェラートが食べられる▶「ミルミル本舗」からは5分程度と近いので、ぜひ観光プランに組み込んでみてくださいね!
▶石垣島唐人墓事件―琉球の苦悩/田島信洋(同時代社)
スポット名:唐人墓(とうじんばか)
住所: 〒907-0024 沖縄県石垣市新川富崎
℡: 0980−82−1535(石垣市役所観光文化課)
時間: 見学自由 ( 入場料無料 )
定休日: 年中無休
交通手段/所要時間:離島ターミナルから 車で15分
駐車場: あり(約30台)